詩壇のかずかずの前衛・実験・難解の中でも、入澤康夫の詩業はかつて誰も眼にしたことのない景観を刻印している。これは詩界の最奥だ、と感じられる。一つだけ明らかなのは、この言語行(言語-行動)が精神の地獄くだりとして敢行されてきたことである。景観は虚数化され、虚としてたえず失われつつも作品へと収斂されてゆく。言語=作品なのか、それとも言語>詩なのか、はたまた言語<詩か、誰にも分らない。それにもかかわらず入澤康夫はこの言語行を貫ぬき、きわめている。