すぐれた読み手に導かれて、いま、私たちは『失われた時を求めて』という言葉の大聖堂の前に立っている。個々の体験をふまえた余力ある解説と、美しい引用の力を借りれば、今度は自分自身の手で豊穣な「時」の扉を開くことができるだろう。