西尾幹二氏は、西洋と日本との間に永遠にあこがれを以て漂白する古い型の日本知識人を脱却して、西洋の魂を、その深みから、その泥沼から、その血みどろの闇から、つかみ出すことに毫も躊躇しない、新しい日本人の代表である。西洋を知る、とはどういふことか、それこそは日本を知る捷径ではないか、……それは明治以来の日本知識人の問題意識の類型だったが、今こそ氏は「知る」といふ人間の機能の最深奥に疑惑の錘を垂らすことも怖れない勇気を以て、西洋へ乗り込んだのだった。これは精神の新鮮な冒険の書であり、日本人によってはじめて正当に書かれた「ペルシア人の手紙」なのである