抜群の“評論家” 私の文筆生活は40年以上にもなるが、そのあいだに親しく接触した”評論家” は、ちょっとかぞえきれない。しかし、個性の強さや独創性、切れ味の鋭さ、守備 範囲の広さにおいて、戸坂潤の上に出るものは思い出せない。 それよりも、見のがしてならないことは、彼の書いたものには、どんな抽象的な テーマをあつかっても、論理の遊戯や、理論のための理論がないこと、骨組みがし っかりしているだけではなくて、これに肉がつき、血が通っていること、ひとくち にいって、彼のすべての評論にヒューマニズムの裏づけがあって、読むものは彼の 脈拍をジカにきここたができるということだ。 こういう型の評論家は、現在のような卑俗化したマス・コミのもとでは、再生産 不可能ではないかと私は考えている。