弾圧に倒れた痛恨の思い 戸坂君が20年前の終戦直前に不幸にも弾圧のため亡くなったことは、今でも 痛恨の思い出である。家が近かった関係から、彼が検挙される日まで、毎月のよ うに彼と阿佐ヶ谷周辺を散歩しながら語り合った記憶は今だに新しい。 彼は一切の人間を差別しなかった。どんな人も彼と平等につきあえた。人を愛 するとともに人に臆することもなかった。だから彼の周囲には種々の人々が集ま ったが、すべて彼の徒党ではなくて彼を敬愛する人びとであった。唯物論研究会 もそうした人たちの集まりであった。そこでは唯物論の討議も行われたが、彼を 中心とする生活の楽しみの会でもあった。 日本の思想家のうちで、彼ほど唯物論に徹するための思索をした人は稀であっ たろう。言葉だけで考えるほど唯物論が簡単なものではないことを一番よく知っ ていたのも彼である。「ドイツ・イデオロギー」や「経験批判論」の明快な理解 の点では、当時彼の右に出るものはおさおらくなかったであろう。明晰な頭脳を もっていた彼の思考には、いつもあいまいと躊躇がなかった。 生産力をつねに問題にしていた彼にとっては、教育の目的も生産力にあった。 この考は今にして始めて生かされている。生産力の比較によって米国との戦争 を否定し、国民のために戦争の愚かさを唱え、日本の敗戦を予知したため彼は倒 れたのである。