パセティックな死と没落の歌はこの画面のどこからも聞こえてこない。すべてが終わったのは自明であり、いまさら嘆くにも悲憤慷慨するにも及ばない。というより、こことあちら側とはまるで平行線のようにいつまでも接触せず、使者がたとえ全速力で自転車を漕いでもいっかなここへは到達しないとでもいうように、象のマドロスさんはのんびりと待ちながら、ゴドーを待つ二人連れのように、いつまでも終わらなかった夏休みの思い出をゆったりと反芻している。地上とは思い出ならずや。世界が終わった後に世界の想い出を語り続けるのが、梅木さんの望遠鏡的視線なのである。