「利己的に生きるなんて、わざわざ教えられる必要などない。誰だってそうしているし、簡単なことでしょう」と言う人々は、アイン・ランド的な意味における「利己的に生きる」ことの困難さを理解していないのだ。もしくは、その必要性を感じないほどに、より良く生きることに無自覚か、より良い生を生きたい欲望が希薄なのである。言い換えれば、自分の生を大切なかけがえのないものとは感じていないのである。自分の人生のかけがえのなさに鈍感な人間ならば、他人の人生のかけがえのなさにも鈍感に違いないし、他人の人生を蹂躙して平気であろう。 アイン・ランドが本書で弾劾してやまない悪とは、「生きているのに死んでいること」である。祝福してやまない善は、「とことん生きて生き延びること」である。こう書くと、単純素朴過ぎるように聞こえるかもしれないが、生命体である人間にとって、これほど究極の悪があるだろうか? これほど究極の善があるだろうか? このような根源的な善悪の観念を、心と頭脳に刻みこむことは、どれだけ深く刻み込んでも深すぎるということはない。